神さまは人の必要をご存知です


 美味しい食べ物がたくさん載った食卓に着いたとします。すると、人はいかにも満足そうに言うのです。
"感謝です、主よ!"
目の前の御馳走が気に入ったものであればあるほど、私たちの "感謝です、主よ!"もさらに大きな喜びを表すものとなるでしょう。幸せで喜ばしい光景です。でも、それは錯覚かもしれません。自分の健康を害する食物を前にして、主に感謝を捧げているかも知れないからです。

私が言いたいのは:
"何が自分にとって良いものかを知る人の能力は、ひどく粗末なものだと言うことです。つまり、あることが自分の幸せのためにどうしても必要だと人が思うとき、それがまったくの間違いかもしれないと言うことです。私たちが、自分や愛する者たちのために快適な生活、安楽な暮らし、喜びなどを求めて祈るとき、永遠のいのちを頂くためにもっとも重要なことと正反対のことをしているのかも知れないのです。"

 綺麗に晴れ上がった青い空を仰ぎ、心地よい日差しの中で私たちは言うでしょう:
"主よ、この恵み溢れる一日を感謝します。"
でも、まさにそのとき、周囲の地は乾ききり、農民は神さまに雨を降らしてくださいと願っているのかもしれません。

 人生で起こるどんな些細なことでも、すべてを神さまにおゆだねするのが最も賢い方法です。人にとって何が最も良いことかは、神さまが正確にご存知のことだからです。
 神さまはアブラハムに満足されていました。それは彼が、どんな状況のもとでも、神さまにすべてをおゆだねしていたからです。彼はイサクを生贄として捧げようとしました。それがどれほど恐ろしいことか分かっていても、あえて彼はそうしようとしたのです。彼の心のなかには、愛するわが子を失うと言う思いに対して激しい反発があったに相違ないのですが。
 "だが、アブラハムは、環境がどれほど暗く見えても、神さまにおゆだねする決心をしたのでした。"
 
 ある集会で、真夜中過ぎまでメッセージをしていたことがありました。ホテルに帰ってみると、嬉しいことに、レストランはまだ開いていました。ベッドへ入る前に、冷たいミルクを一杯飲みたいなと思ったので、ウエイトレスに言いました。
"ミルクをください。"
彼女はにこやかに答えました。
"分かりました。お席につかれたらすぐお持ちします。"
しかし、彼女は一分もたたないうちにガッカリしたような顔で戻ってきて言いました。
"冷蔵庫に鍵をかけた人がいて、開けられないのですよ。"
"主よ、感謝です!"と私は答えました。
"なぜ、感謝などとおっしゃるのですか?"
"いつも、すべてのことに感謝することを、私は学んできたからですよ。そうすれば、神さまは、その事を用いて奇跡を起こされるのです。"
"どちらの教会に行っていらっしゃるのですか?"彼女は興味を持ったようでした。
"メソジスト教会だが。"
"私も教会に行っていますが、そんなことは聞いたこともありません。"
"信仰生活でもっとも大切なのは、神さまが私たちに、永遠のいのちと言う贈り物を下さっているのを知ることなのだが、あなたはそのことを聞いたことがありますか?"
"ええ、ありますわ。教会ではいつも、生まれ変わると言うことについて話をしてくださっています。"
"で、あなた自身は生まれ変わったのでしょうか?" と私は尋ねました。
"そうだと思っていますけど。"と彼女は答えました。

 そこで私は、あなたも生まれ変わったことを確信できますよと言い、そのために祈っても良いですかと尋ねました。彼女は喜んで私の提案を受け入れてくれました。祈り終わったとき、その顔は微笑みを浮かべ、涙が頬を伝って流れていました。
"素晴らしいわ! 生れてはじめて、私は自分がクリスチャンだと分かりました。"

 とても素朴なお話です。でも、そこには確かな真実があらわされています。
"自分にとって何が良いことか、私には分かっていると言う思いを捨てるとき、神さまは、身の回りの出来事すべてを取り上げ、それらを永遠の御国の建設のために用いられるのです。日々の出来事がどのようにして、神さまの栄光や私たちの益のために用いられて行くのか、人は知る由もありませんが、私たちに与えられた役割は、ただ神さまを信じることだけです。"

 私たちの手元に食料がふんだんにあっても、わずかしかなくても良いのです。神さまは、その状況を私たちの益のために用いられますから。
 すべてのことで神さまを賛美する人は、キリストの代弁者となります。不平を言う人は、残念ながら、この世の代弁者です。この世は、すべてのことについて、いつも不平を言うところなのです。

 使徒パウロは、鞭で打たれても、石を投げつけられても、飢えに苦しんでも、寒さにふるえても、船が難破しても、友人に見捨てられても、そのことで神さまに感謝しました。彼が書いた書は神さまによって伝えられ、彼は歴史上の誰よりも多くの人を祝福する人になりました。

 自分の心に従うか、御心に従うか。その選択はあなたのものであり、私のものでもあります。すべてのことについて、神さまを褒め称えて生きることも出来るし、どんな状況になったら自分にとって賛美できる状況かを無意味に探り続けて生きることも出来るのです。
 私は強くお勧めします。過去、現在、未来において、あなたの人生で起きるどんな小さなことでも、すべてを神さまの完全な御手にゆだねてください。そして、神さまによって、大きな喜びを得てください! そうするとき、あなたは知るのです。日々起きる何の変哲もない出来事のひとつひとつが、滅多に起きない大事件同様、神さまを褒め称える素晴らしいチャンスであることを!

賛美のメッセージ

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